山根製菓の始まり

昭和10年、ちょうど渋谷にハチ公の銅像がたったころ、初代 山根正夫が今の東京目黒にて山根商店として米菓の製造販売を開始したのが山根製菓の始まりです。当時は、今のように車など気軽に買えるものではなかったため、リヤカーを押して販売を行っていました。時には、目黒から横浜まで行商に行くこともありました。
昭和12年以降は、農作物の生産量が減り、さらに、お米の国内消費量のおよそ4分の1を朝鮮や台湾からの移入に頼っていたため、船舶やその燃料は軍用が優先され国民生活は米不足になっていきました。当時は、「米穀通帳」と呼ばれる物が必要だったとか。

そんな時代を経て当時ではまだまだ、厚焼きのお煎餅が主流な中、うす焼のお煎餅を作り始めました。始めたきっかけはお米をうすく伸ばすことによって、厚焼きよりも枚数とれることがきっかけだったとも言われています。

そこから、約四半世紀以上の時を経ても愛されているうす焼き煎餅。焼き加減が難しく焦げつかせないよう丁寧に、そして伝統的に今でもその味を守っています。